今日本の新聞で小泉首相の靖国参拝について肯定的な意見を載せている全国紙の新聞は無いようだ。地方紙でも同じだろう。是非を問うまでもなく靖国参拝が明らかに間違っているというものであるならそれでもいいかもしれないが、時の政権を批判するとして批判するだけなら、何の意味もない。
60年安保から70年安保にかけての政権批判の全学連や中核派、革マル派などの落ちこぼれが新聞社などで 力を振るっているのかもしれない。
日本の革命に挫折して世の中におもねた奴等が企業やこのような新聞社に就職して、ときはすぎゆき、そして時は今。今こそ日本に革命のあらしを巻き起こそうとしているようにも思える。
実際に革命を実践しようとしてよど号ハイジャック事件を起こし北朝鮮にわたったものの、結局どうしようもできず、最近日本に帰国している奴等もいる。
そういう奴等とは一線を画し、ヘルメットやゲバ棒を捨ててペンを取ったのはいいが、やっていることが赤のプロパガンダにただ単に乗っかるだけ。日和見主義者らしいやり口だ。
そんな奴等も次々定年になり始めているが、最後の一あがきのつもりだろうか。
新聞紙上ではご丁寧にも過去の歴史という表現でいろんないきさつを載せているものの、こんなもの、内容が一方的すぎる。日本も含め、勝った方が正義であるという論理は今でも生きている。日本も戦争して勝利すればよいということだ。戦争しないためのいまの話ではなく、もう100年ぐらい前からのその時代のことを何度も悪かったと詫びる新聞社。一体誰にわびているんだろう。詫びてなんかいないんだろうか。
新聞は歴史の教科書でもないし、時代小説でもない。わからないことを小説風にして載せるべきものでもない。政治上の駆け引きを一方的主張に則って記事を展開するのもおかしい。
そしてこのようなこと何らかの結論が出るわけでもない。
そんなに中国のことばかり載せないで、たとえばA-bombのことをもっと載せてもいいはずだ。
こんなに情報公開ができるアメリカのことは載せないで、なぜ中国のことばかり載せるのか。そんなに中国のことを書きたければ中華人民共和国のことと中国共産党のことをしっかりと載せる必要がある。100年ぐらい前からの国際情勢をしっかり載せて論じるべきだ。
もし日本が戦争を起こさなかった場合、日本はどっかの国の植民地になってしまい、今のように携帯がどうしたとかパソコンがどうしたとか、耐震偽造問題もなければ新幹線も無い日本であっただろう。
極東の小さな島国となっていたかもしれない。日本人の生活は悲惨で、ヨーロッパ人に搾取され、中国も今のこのような発展はなかったかもしれない。かも知れないというより、その可能性は高いと言ってもいい。
結論として、アジアにとっては可能性は低いが望ましい方向に進んでいったと思っていい。
そんな歴史もよーく考えて欲しいものだ。60年前のことばかりではなく、その後の60年間をすっかり忘れている。