今の偽装マンション
バブル期は忙しかった。株価も象徴的にあがったし、ゴルフ会員権も上がった。営業活動もしたが、仕事もどんどん入ってきて、その事務処理にも忙しかった。
仕事中は常に小走りになったものだ。
そんな忙しいときでも今のように歩行者の列に突っ込むという事件が毎日起こるようなことは無かったと思う。設計をわざと変更してふらふらのマンションを造るということも無かったのではないかと思う。
まあ、そうは言っても海ずなを使って山陽新幹線のトンネルを造ったという記憶もある。
しかし責任の所在は明確であった。今の偽装マンションはたくさんの業者が互いに牽制し不正を防ぐのではなく、互いに見て見ぬふりをする無責任体制の象徴のようになっている。
知らん、わからん、聞いていない、そういうつもりで言ったのではない、記憶にない。
使い古されたこんな言葉が乱れ飛ぶ実に程度の低い参考人招致であった。
もしかりに清く美しく万全のマンションを造るという理念が実際に企業内にあればこのようなことは起こるはずもない。
これはその社長の不徳と致すところなどではなくそのように企業が日々営業活動してきた結果と言わざるを得ない。
大地震が誓いということから負らフランのコストダウンマンションを造って売りまくり、収益をがっぽり稼いで大地震がきてみんな倒壊してもどのマンションがどうのこうのと言われることは無いと踏んでの大博打だったんだろう。
ふらふらマンション住人は各県の公営住宅に引っ越して、公的支援はその程度。後は民対民の関係になってうやむや。
そんな決着ではなかろうか。他人事ではあるが、他人事ではない。