2006/04/27

あいさつ

日本語には挨拶というものがあります。相手に対して「おはよう」とか「いってきます」などです。面識のある人に対しては何らかの挨拶をし、ドアを開けてくれたとか道を譲ってくれたひとには挨拶するのが人間というものです。これは洋の東西を問わないと思います。

それを合いたくないとか、話しもしないなどという国があります。

大勢の人間の集まった国が隣に位置しているので、何らかの問題が発生することは必ずあると思います。そしてなにか問題があるなら解決する必要があります。解決しないままで良いとは誰も思っていないと思います。そして19世紀ならいざ知らず、現代社会では武力ではなく話し合いを通じて解決しようとするのが良いのではないでしょうか。

それなのに、話し合いをしたくない、するつもりは無い、こっちに来るな、ちょっとでもこっちに来ると武力行使を躊躇しないなどと言っています。そしてそこに軍隊を常駐させ、銃口をこっちに向けています。

これに対して小泉さんは冷静に冷静にと言っていますが、冷静に何をしているのでしょうか。冷静に物申す必要があります。向うの言っていることに対していちいち冷静に物申せばいいのです。

実際は何も物申していません。向うからみれば「ほらみろ、日本は黙ってしまった」と、みえます。日本は5月にMMZの会議があるのでその時にと思っているわけです。日本は竹島問題と漁業の問題を分けて考えたいと思っているようですが、あちらさんは不可分の問題と考えているようです。

ですから、すでに実行支配されて数十年。分けて会議しましょう、といっても、ほれこのとおり分かれはいないし、その状態が何十年も継続されているのだから、我々は日本の言い分を許可しない。

会議する必要があるとおもう部分は何も無い。そんな事を言われてちゅんとなって帰ってくるのでしょう。

このような会議が度重なることで、我々の領土のことで日本は何度も難癖をつけにやってくるが、そのたび我々に論破されてすごすごと引き揚げていく。そんな既成事実を日本外務省自らが作っているということです。即座に反応しなかった過去は過去として反省し、5月の会議で韓国の思うつぼにはまらないようにしなければなりません。

韓国は5月の会議をひっくり返して6月の国際会議で韓国式の命名を国際社会に認知させようとするでしょう。日本はそうなったときにはもう話し合いどころではありません。そのうち日本海という名称変更も時間の問題。

名前なんてどうでもいいではないかという方もいらっしゃるかもしれませんが、そのどうでもいいと思うことが世の中どうでもいいということになって、日本なんかどうなってもいい、自分だけはしっかりしているから間違いないと思うようになるわけです。

そのうちどうでもいいのではなくて、どうにもならないと変化してきて、どうにかならないものだろうか、となったときに、もうどうしようも無くなる

あちらの国が長続きしてこなかったわけはそのような態度にあることは明白だが、日本としても何百年と続いた隣国の操縦方法を変える必要があることもまた明白。ガツンとさせる必要がある状態かもしれない。