2006/01/27

革命と改革

堀江貴文の光りと影。

やってはいけないならやってはいけないと書いてくださいよ、という言いぐさが最近テレビ画面でちょくちょく流れます。

およそこの世の中で条件を十分条件で満たす表現は出来ないのです。

この世の中には人をだましてはいけないということがまずもってあるわけです。そんな包括的前提の中で日常生活や経済活動があるわけです。

証券取引法の中に人をだましてはいけないという文言はないと思います。それは上のように人間としてすでに備わっている常識があると思うからですし、無いといけないのです。

一人一人にその様な常識があるかどうか、踏み絵をするわけではないので、このような事件が起こるまでは当たり前に備えていると他の人は思うわけです。

それを指摘されて、堀江以外はあっさり認めたのはその常識自体はあって、企業運営にもその常識を前提にしないといけないと指摘されてそれが理解できたからだと思います。

それに比べて堀江の取り調べ状況が芳しくないのはその常識がないか、理解できないか、そんなところなんでしょう。

今までニュースで堀江のやっていることは正しいし、問題ないはずと言っている人を見たり聞いたりしたことはありません。

堀江は自分のやったことは誰も認めてなくとも自分が正しいと思っていればいいのだという言い方になっています。

相手をだましてお金を巻き上げても、自分流でやっているのだから問題ない、おまえも自分流で何かやればいい。そういっているわけです。

でも、その裏には自分はだまされないぞということを暗に言っているようなものです。

このような取り調べ状況なら心証は悪いし、理解できていないようならまた何か自分勝手な何かをするに違いないとなるのは必定。

こんな人は日本には要らないようにも思う。堀江のような新しさは要らないので、もっとことの本質を貫いた本当の意味でのインフォメーションテクノロジー革命が必要だ。今はせいぜい改革程度の内容でしかない。