2005/07/10

てろりすと

国際テロリストから身を守るために民間企業や政府はいろいろ手を尽くしてもらわないといけませんが、そのコストはどこから出ているかというと、税金やもの のコストに跳ね返っていくわけです。このコストは日本であろうが、アメリカであろうが、発展途上国であろうが、結局は跳ね返っていくのであります。むしろ 弱者にはより一層のしかかるということになる可能性もあります。

十字軍国家やキリスト教国家などが攻撃対象になっているようにも書かれていますが、もしこのような国際テロが収まらず長引くと、その温床と疑われている国 家や地域はますます薄汚いない地域になってしまい、人として全うな生活を送れないだけでなく、一体何のためにこの世に生まれてきたのか、とまた恨むことに なります。

どうしてこのような「恨む」構造を作り出すのでしょうか。私たち西側国家から見るとこのような言い方になってしまいますが、まさにこの東西の関係に収れんしていきます。

中国のようにわずか60年70年前のことをほじくる国家と何百年何千年昔のことを持ち出してくる国家。向こう側から見るととても水に流すことが出来ないこ となんだろう。何を実現したいのか、そしてその何かは実現できる内容なのか、また実現できると本気で思っているのだろうか。

いずれにしても互いに理解できない内容を互いに押しつけようとしていること自体人間業ではないし人間のすることではない。

そのような簡単なことも、人の死によって常識が常識ではなくなるのである。その時は理由もなければ、何らの抑止力も働かなくなるものだ。

狩猟民族は結局狩猟民族で、農耕民族は結局農耕民族なのだとすると、それぞれの領分で物事が計れれば問題はないということ。狩猟民族が農耕民族の価値を奪おうとすると軋轢が生まれるという単純極まりない構図になる。

その単純極まりない構図に近づいているように見える。