2006/03/23

文化の程度

わからなければ人に尋ねるのが一番。ではありますが、これは結局自分で調べるという意味での、方法として尋ねるのが一番ということです。目的は解決で手段が人に聞くということです。自分で調べるという手段もあります。要するに自己責任でどうぞということです。

人に尋ねるならそれなりの作法があります。礼儀作法とでもいいましょうか。電話であろうが、対面であろうが、手紙であろうが、作法があります。

作法が出来ない人は無作法といわれます。無作法かスマートかはその人の文化の程度に左右されます。

先進国後進国、お金持ちかそうでないか、男性女性、そんな事とは関係ない部分です。育ちと言ってもいいかもしれません。

一人の人間として育ちを選ぶことは出来ません。運命かもしれません。しかし、物心ついて教育を終えて自分で考えることができる一個人となってからは、これこそ自己責任です。

そういう個人の文化の程度で、自己実現できるかどうか、どの程度まで実現できるかが左右されることになります。

人と連携を図ることが出来なければ自分で頑張ることになります。が、あくまでも対人関係部分ではどうしても個人の文化の程度に左右されます。

そんな部分での個人の程度が低い方が世の中にはたくさんいらっしゃるようです。

世の中はあまねくできる限り平等になるように、性善説で出来上がって部分が多いのですが、インターネットの中のように性善説ではどうにもならない部分があります。特に匿名性が高いインターネットですから、そのような人間の弱い部分が強調されてしまいます。

次に電話です。対面していないだけで何故か個人のゆがんだ部分がむき出しになるときがあります。電話は便利です。これでどれほど社会が便利になったかわかりません。しかし不思議なことに伝えたいことが伝わらないことがよくあります。それはたぶん相手の話していることを聞いているだけで、それが右から左に抜けている人が多いからでしょう。それと自分のいいたい部分と、実際に相手に伝わったことが違っていることに原因があるのでしょう。

人間はそんな便利な道具を使っているにもかかわらず、実際は何も便利にはなっていないということに気がついていないということです。

話は脱線しましたが、情報の伝達についてその情報の発信はそもそも人間ですから、その情報伝達が出来ない人間の文化の程度が重要になります。

よけいな情報を伝える、必要な情報を伝えない、そんな人間が増えているように感じてなりません。

そして、ここの情報は大丈夫でしょうか。よけいな情報かもしれません。