祖先のいない国
祖先のいない国の人たちは、自分たちの行っていることがまことに正しいと思い込んでいるようです。前の体制を打ち破って今の体制があるので、今の正義もいずれは悪になる運命です。かつては正義だったその悪は闇に葬られ、反省の材料になることもなければもちろん敬われることもありません。
後から悪であるとか正しかったとか、何の意味があるのでしょう。その時に議論できたことがその時の正義なのです。これは数学的結論ということではなく、人間社会の原理原則でもあります。
そのようなことが出来ないで、毛沢東は正しかったとか間違いだったとか、雲の上のように祀ったり、足で踏んづけたり、これは物事を客観的に見ることが出来ず、その時点でなにかの結果を感じて、だから良かったんだ、だから悪かったんだ、と言っているわけです。
このような、後から話がかわるような人たちと将来に渡っての取り決めが出来るんでしょうか。あの時はそうだったかもしれないが、今はしたくないなどと言い出すのがせいぜいです。
まあ、それこそが彼たちのアイデンティティですから、「それのどこがおかしい」と言ってくるのが見て取れます。

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