2006/07/31

さいくりんぐ

海外旅行ガイドによく載っていることで、日本人の「すみません」ということばが誤解を招くとあります。いまでこそあたりまえのことになっているので、ことさら気にすることはありませんが、ときに思い出すことがあります。

海外旅行でなくとも、外国人と接するときにペコペコする態度は場合によっては卑屈に思われるという国際的常識ということです。

その外国人が日本人に知人がいたなら、日本人がお辞儀してもけっして誤っているわけでもないし、卑屈な気持ちでそんなお辞儀やどーもなんて言ってはいないということは百も承知です。

それは日本人と付き合うときの常識であります。

日本人が中国人と話をしていて、中国人がことさら○○神社に行って参拝するのは止めろなんて言い出して、その日本人も別に深い意味は無いよて言っているのにあんまりしつこいんで「止めました」なんて言うと、「ほらみろ、やっぱり悪いと思ったんだ」とおもわれるわけで、それはいまや国際人としての常識であります。

天皇がどうしたからやめるということも政治家として資質がないことを暴露することになりますが、一般人がそれならばやめるかと言うと国際的には謝罪したと思われるわけです。

後でどんなに説明してもそのような行動をしたということが必ず残ります。

さて、どっちがこれからの日本の国際化を助けることになるでしょう。

行っても行かなくても日本人自身の問題で、日本人が判断することで、あらかじめ宣言することではないと思います。

行かないと宣言すると、二度と行けなくなるのです。理由がなくなります。行くための理由を述べる必要が出てきます。しかも相手の了解を売る必要があるでしょう。

そんな事、とんでもないことです。

中国人が神社に行くときは戦争をするときしかないのかもしれませんが、日本人が神社に参拝するのは別に開戦の相談を始めるわけでは無いし、八百万の神の国日本の単なる条件反射的参拝であります。

中国人の中国人のための神社とは違うということです。中国人の勝手な想像でしかないということです。人の心の中を探って決めつけようとしているわけです。

谷垣さんは、自分はそのような公約です、他の方の公約はまた別で、首相が代わればまた変わるわけですと言いたいようです。中国人からみると、大きな声を出すと日本人黙る、と思うでしょう。

これなら南シナ海の油田開発やもっと別の場所でも開発しても問題なさそうだと思い始めるかもしれません。日本が抗議しても無視するか、今まで問題なかったからこれも問題ないと大声を出すでしょう。

谷垣さんならどうするんでしょう。

うーん、といってつぶらな瞳でなにやらぼそぼそ言うことでしょう。

会話のパイプを持たないといけないということで靖国参拝を止めたわけですが、果たしてこの人に会話(国際交渉)が出来るでしょうか。

日本人、言うことを聴いてくれたから今度は聴いてあげよう、なんてこと絶対にないと思います。いままでさんざん日本企業が中国人にどれほどだまされてきたか、わかってないんじゃーなかろーか。

これだけ苦しくても中国にODAをくれてやっている日本。日本が止めたくても止められないとするとおかしい話です。

日本はすでに中国にいいなりになっているんじゃーありませんか。どのような戦略でODAを実行しているのか、実にならなければ終了すべきだ。

日本もその程度には大きな声を出していい。

サイクリングが趣味では日本を救えそうにもない。